文政4年(1821)浦賀奉行所与力・中島清司の長男として浦賀に誕生す
る。
モリソン号事件やペリー来航など生まれ育った浦賀で目の前に起きた
事件を背景に、軍艦、大砲の建造など国防に携わっていく。
一方では天然理心流・剣術目録、北辰一刀流・剣術目録など武士とし
て剣術・槍術を備え、砲術に関しても諸流派の免許皆伝、更に大筒鋳
造、砲台建設に至るまでの専門技術も備えたスペシャリストであった。
海運技士として順風満帆であったが、大政奉還して幕府崩壊の中、明
治2年(1869)二人の子供達と一緒に函館で主家徳川に殉じてしまう。
まさに徳川の幕臣として筋を通し、最後のさむらいの姿を見事なまでに
貫いた人物であった。
榎本武揚とは、長崎の海軍伝習所で造船技術を習い、江戸の海軍操
練所で、後身を育て、一緒に海国日本の基礎を築いた第一人者の一人
であった。
最後は軍艦奉行に就任した榎本は、自身の乗船する開陽丸の機関長
として三郎助を呼び寄せ、江戸を一緒に脱出し、函館で官軍と戦った。
榎本、大島ら大将は軍門に降伏するなど恭順を選択する中で、三郎助
は覚悟の上で死に場所を決めてたようであった。
浦賀警察から海岸に歩を進めると進行方向右側の高台に浦賀センターがある。
海運国日本として歴史的に一役を担った浦賀から生まれた、国産1号機の軍艦鳳凰丸や
幕末期に活躍した、中島三郎助など写真、遺品が展示されている。
□浦賀文化センター
◇中島三郎助
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