 |
| 最後の浅右衛門、吉亮 |
|
山田家は罪人の死体から、脳味噌、胆嚢、肝臓、陰茎をもらい受け、乾燥などの処理して
薬として販売していたのである。
特に肝臓から作った「人丹丸」「慶心丸」などと呼ばれる薬は結核の特効薬と珍重された。
この売薬の利益は莫大で身分として浪人にすぎなかった山田家は万石の大名に匹敵する
と言われ、生肝の信仰が山田家の経済を支え同時に人を不気味がらせた。 |
家業から奇怪なうわさも多く、山田家には夜な夜な幽霊が現れるので、夜通し灯を付けて
酒盛りしているとささやかれた。
吉亮自身は人を斬った後は「顔がポーッとのぼせ」「血に酔う」ので夜通し酒盛りして騒いだり
した。それが噂となって世間の人が曲解して、浅右衛門が怨霊に悩ませていると言っている
のであろうと、語っている。
友野義国と言う少年が浅右衛門宅に泊まった時ポタポタと言う音で夜半目をさました。
雨でなく。これが幽霊の足音かと思うとそれっきり眠れなかった。
夜が明けて雨戸を明けると軒端に吊るされた袋からどす黒い血がしたたり落ちていた。
袋に入っていたのは人の肝だった。 |
雲井龍雄の肝は同年4月15日、人丹、脳髄などの販売禁止令により薬にならなかった。
同時に試し斬りも禁じられ、吉亮は単なる「斬首役」でしかなかった。
明治14年8月吉亮は斬首刑の廃止により「市ヶ谷監獄署書記」を拝命し、翌年依頼退職した。
しかし、人の生ギモと縁が切れた時「首切り浅右衛門」は伝説の人物になったと言われる。
明治44年没 |
|