新選組資料館
武州(多摩地方)に住んで未だ約30年、外部からの流れ者で土地っ子でもない、人間が
この土地の歴史を語るなんて何ともおこ がましく、軽薄であり、先祖伝来当地に位を構
える先人に失礼かも知れない。
しかし住めば都、当地に住んで居て、身近な出来事として『新選組』について、無関心で
はいられないぐらいに存在の大きさが年々と伝わってきた。
幕府方に忠誠を誓い最後まで戦った、歴史の流れの中で語る事も禁じられた時代から、
年の経過と共に再評価され、色々な事実が明らかになってきた。
歴史本の大量な扱い、TV放映などで武士世界の生きざまが現代にも受け入れられ、人
気の高い集団になってしまった。
毎年行われる新選組イベントは当地に住んでおられる方、直接繋がりがある末裔、そし
て熱狂的な全国フアンの方々の熱き思いが込められ年々盛んになった。
地元住民として、これらの素材を拾い集め、整理してみた。
『新選組』を愛す人、理解したい人など多少でも参考になれば幸甚である。
『新選組って何?』て 聞かれ
幕末に剣の実力派が厳しい隊律で結束を固め、 荒れ狂った京都の街の沈静化に活躍した侍集団
。
幕末の時代変革の中で最後迄、幕府に節義守り、朝敵 とされ、散っていた悲運
の ヒーロ達とでも言うべきなのか?ともかく、そのベールを剥がしてみよう
| 新選組誕生 |
多摩地方誕生の背景、天然理心流の普及など |
| 新選組の足跡 |
新選組の足跡の年表、池田屋事件、鳥羽伏見の戦いなど |
| 甲陽鎮撫隊 |
甲陽鎮撫隊と支援した日野農兵隊を含めた編成から、戦い・落ちるまでバーチャルな世界で詳しく紹介。
官軍の主力となった「迅衝隊(じんしょうたい)」とは |
| 名主井上忠左衛門 |
勝沼戦争で破れ、生涯最大の危急の佐藤彦五郎を支えた粟之須名主井上忠左衛門 |
| 石田散薬 |
歳さんが売り歩いた、石田散薬を現代版で追求してみたら |
| 永倉新八 |
永倉新八の足跡 |
華々しく散る新選組の隊士のなかで、幕末以降も生き抜いた姿 |
□新選組物知り
□隊士の足跡
| 中島登 |
| 誕生から入隊まで |
八王子の小田野に誕生、千人同心で武術を錬磨。新選組での諜報活動 |
| 悠々たる後半生 |
新選組敗退による恭順と浜松の地で昇華するまでの足跡と残された遺産 |
| 中島家系譜 |
系譜にも「登」の運命が残されている |
| 井上家と中島登 |
登が世話になった井上家末裔と遂に面談。近藤勇と遠縁、高島流砲術書など実物紹介 |
山本満次郎
「幕末資料館」へ |
登が習った天然理心流の指南役である山本満次郎と・名声高い『下原刀匠』山本一族とは |
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| 沖田総司 |
| 幼少時代の伝聞 |
幼少時代の沖田総司が日野に居たと言われる伝聞を追って |
| 総司像を追って |
甲陽鎮撫隊への参加、稽古の気合、ヒラメ顔など伝聞はつきず |
| 池田屋での喀血 |
鮮烈な池田屋襲撃事件、あの喀血は労咳からだったのか |
| 沖田終息の地 |
沖田総司が亡くなった千駄ヶ谷(現四谷大京町)の終息の地を訪ねて |
| 今戸に総司を追って |
戊辰末期、旧幕府軍の野戦病院とした今戸神社周辺を尋ねて、果たして沖田総司は |
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| 山南啓助 |
| 山南啓助の折れた刀 |
山南がある事件で重傷を負い、再び剣を持つ事が出来なくなった。これが結果的に悲劇を負う
拙宅のHPの写真が掲載された東愛知新聞から |
| 山南の死を伝える沖田の手紙 |
試衛館道場以来の仲間であった山南の死を日野宿名主佐藤彦五郎にどのように伝えたか、
沖田の手紙から |
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| 近藤勇 |
近藤勇の最後 |
新選組の顛末を迎え、幕末史の大きな分岐点となる大事件を辿って見た |
| 土方歳三 |
| 土方資料館石田寺 |
資料館に残される数々の遺品と歳三の墓地から華々しく散った生涯を語りかけるものを負う |
| 遺命を持って多摩へ |
北の大地を駆け抜け、函館から、土方の形見を持って多摩にやってきた市村 鉄之介の姿 |
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