□奉納額は処分
慶応4年(1868)3月 新選組は甲陽鎮撫隊を名乗り、勝沼戦争で官軍と戦うがこれに破れ、逸走する。
官軍は勝沼より甲州街道を東下するが、官軍通過する折に後難を恐れ、大奉納額は処分されてしまった。
僅かに残されているのが、奉納額を支える「金剛力士像」の片側1体のみである。
「金剛力士像」
□府中六所宮(大国多摩神社)の天然理心流大奉納額
安政7年(1860)9月府中宿六所宮(大国多摩神社)に巨大な奉納額を納めている。
残念ながら現存しておらず、小島政孝氏が記録に基づき、イメージを描かれたものである。
大きさは縦3.3m 横5.7mに及ぶ巨大なもので、約1000人余りの門人の名前が書き込んで
あったとされる。
奉納額の材木調達を伝える手紙に「ベテランの運送業者を雇って大八車で運ばせる」とあり、
巨大な奉納額であったことは間違えない。
丁度同じ時期に八王子を中心として三術を教える増田蔵六のグループに属するグループは
秋川神明社に大奉納額を納めており、近藤周助のグループと競い合うように納めている。
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