□近藤勇襲撃事件
慶応4年(1868)3月8日、甲陽鎮撫隊が勝沼の戦いで新政府軍に破れ、大久保大和こと近藤勇は新政府軍
に追われ八王子に到着した。
勇は甲州道を東に江戸に向かい浅川を挟んだ大和田の渡しを渡ろうとしている時であった。
15歳の小峰松之助が突如、勇の背後から斬り付けてきた。
しかし、京で幾多の歴戦をくぐり抜け、名だたる天然理心流の宗家なら、そんな柔でない、勇の敵ではなかった。
撃ち下ろす太刀にさらりと体を交わし、松之助は一太刀も浴びせられずに浅川の河原から退散してしまった。
官軍に破れた報が噂で伝わったのか心配の余り、勇と同じ門弟仲間の西村一平は物見に出かけて見ると、
目の前で起きた事件であった。
大和田の渡しで、起きた事件の背景にはこんな事があった。
小峰松之助の兄である真田範之介は武州多摩郡左入村の名主、小峰久次郎の長男として天保5年(1834)に
誕生する。
生まれつき剣の素質にすぐれ、天然理心流を学び更に北辰一刀流の玄武館に入門し、頭角を表した。
範之介は攘夷に心動かし、西洋人のために日本が植民地化されることを恐れ、尊皇攘夷運動に走った。
元治元年10月16日、市中警護の新徴組に包囲され範之介は21箇所傷を受け凄惨な姿で斬殺された。
その兄の遺恨を張らすために目の前を通過する近藤勇を兄範之介の仇と矛先を向けてしまった。
直接手を下したのは新徴組であるが、何故近藤に刃を向けたか不明である。
浅川を渡す大和田橋の周辺部、当時は現在の様な立派な橋はなかった。
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