慶応元年(1865)4月17日彦五郎と京都から隊士募集で帰った歳三と一緒に上平村(八王子市)の東照宮に行き、
家康公の例大祭で参拝し、剣術修身の者 2名の神文状を取る。 帰りに井上忠左衛門宅へ寄り稽古を付けた。
・・・「彦五郎日記」
新選組の土方歳三が伊東甲子太郎、斉藤一らを伴って、新選組隊士募集で江戸に帰ってきた。・・・彦五郎日記に
見る歳三の最初の帰府である。江戸にての隊士募集とも併せ、初めて故郷で錦を飾り、多忙を究めたであろうが、
その中の大事な行事の一つが、日野宿名主であり、義兄弟である佐藤彦五郎と一緒に此処、上平村の東照宮に行き
家康公の例大祭での参拝であった。
一方の彦五郎は近藤勇の京都滞在中に、天然理心流の多摩の門人取り立てを代行しており、剣術修身の者2名の神
文状を取る。
慶応2年(1866)に彦五郎家の長屋門の一角に天然理心流の佐藤道場が出来るが、付近の稽古場は柴崎村(立川)
・柚木堀之内(八王子)・粟之須村(同じく)・寺沢村(同じく)・一の宮村(多摩市)・五日市村(あきるの)などがあり、その
一つ粟之須村の井上忠左衛門宅へ寄って稽古を付けた。
同月、歳三は新入隊士53人を首尾よく集め、江戸を出立、翌月の5月京都に帰る。
井上忠左衛門は彦五郎の住む日野宿とは隣村する粟之須村の名主であり、彦五郎とは遠縁の親戚であり天然理心流
の門弟仲間でもある。
彦五郎が甲陽鎮撫隊と一緒に勝沼戦争に参加し、甲陽鎮撫隊が官軍に破れ彦五郎も追われる身になる。
彦五郎が五日市の大久野村に逃亡するおり、主のいない彦五郎宅で留守居役をかって出るが、官軍に捕まり、縄をか
けられ、彦五郎の行方を厳しく問い詰められる。
詳細はこちらを参照下さい。
写真は現八王子市平町の大蔵院の墓地の高台から見渡す。
墓地の配下,写真の左下部分に大蔵院が見える。その大蔵院の向かい側の平家に東照宮があったが、解体され
その名残が縮小版の形で現存されているようである。
大蔵院の周辺に林立する木立の大銀杏は樹齢500年とも言われ、樹下の移り行く時代の流れを見てきた。
歳三も彦五郎も大銀杏を見ているはずである。宅地の先の開けた部分は多摩川とその河川敷である。
◇窮地に陥った彦五郎を支えた井上忠左衛門
◇歳三と彦五郎の東照宮参拝
□粟之須村名主井上忠左衛門
粟之須村名主井上忠左衛門は天然理心流の仲間であり、同じ名主として彦五郎の広い交遊関係を持つ一人で
ある。幕末期に彦五郎が官軍に追われ、身を呈して逃亡を助け支えた粟之須村名主井上忠左衛門について、その
背景となった勝沼戦争と関わりを記録から追ってみる。併せて、その舞台となった粟之須村周辺の姿を追ってみた。